国民主体の憲法論議を―対立から対話へ

 日本国憲法施行70周年を迎えた5月3日、安倍晋三首相は、新聞インタビューや改憲派集会へのビデオメッセージの中で、「憲法改正・2020年施行」を目指す考えを表明した。

 目標年を、東京五輪・パラリンピックの開催年に設定したことへの賛否はあるが、期限が提示されたことにより、これまで以上に改憲論議が加速することが予想される。

 言うまでもないが、その議論の過程において、憲法を変えること(または変えないこと)それ自体を目的化するのは誤りだ。改憲するか否かは手段であって、目的ではない。

 そもそも憲法とは、国民の生命・財産・自由その他の権利を守り、国民の幸福を図ることを目的に、統治の原理・機構とその権限を定めたものである。仮に、内外環境の変化により、現憲法では国民の生命・財産・自由を守り切れないというのであれば、守れるように変えるべきである。逆に、十分に守れる、むしろ変えることで国民が脅かされるというのであれば、変えるべきではない。

 いずれにせよ、改憲派・護憲派の双方が感情的対立を越え、国民の幸福を図るための国家のあり方・役割について、事実を基に冷静に意見を出し合う「対話の時期」に来ているのではないか。

 かつて「憲政の神」と呼ばれた尾崎行雄は、大日本帝国憲法(欽定憲法)の下であっても、国民が立憲主義を理解し、その精神を身に付ければ、同憲法の立憲的運用は可能だと考えた。また、日本国憲法がどんなに立派な憲法であっても、立憲主義・民主主義の精神が国民に根付かなければ「豚に真珠」と喝破した。

 尾崎は、立憲政治には批判精神が不可欠だと言う。当時の国民の「長い物には巻かれろ。お上には逆らうな」という権力追従の態度と、周囲に無批判に同調し付和雷同する態度を厳しく批判した。換言すれば、政治を「お上任せ」にせず、国民一人一人が国のあり方に責任を持ち、この国をどうしたいかを自らの頭で考え抜くことが、立憲政治の屋台骨になるということだ。

 これから加速するであろう改憲論議においても、国のあり方を決める政治の主体(=統治機構をコントロールする主権者)としての国民の意識が重要となる。

 冒頭の「2020年施行目標表明」に先立つ5月1日、安倍首相は、超党派の新憲法制定議員同盟の集会で、改憲の「機は熟した」と語った。国会議員だけの「盛り上り」では意味がない。国民全体の主権者意識が高まり、国民主体で憲法論議が進められて初めて機は熟す。


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憲政記念館のハナミズキ

憲政記念館のハナミズキ

尾崎行雄・東京市長がワシントンDCに3千本の桜を贈った年から、ちょうど100年目にあたる2012年。「日米友好の証」100周年を記念し、米政府と日米交流財団による「友好の木―ハナミズキ・イニシアチブ」が開始されました。

このプロジェクトは、米国から日本にハナミズキ3千本を寄贈するというもので、その後、数年かけて、東京や東北被災地をはじめ全国各地に植樹されました。

尾崎行雄記念財団には、20本が寄贈されました。
そして、米国からの返礼ハナミズキ100周年にあたる2015年、伊勢のNPO法人・咢堂香風の土井孝子理事長に手により、憲政記念館の庭に植樹されました。

写真のハナミズキは、その時の一本で、先日(4月下旬)撮影したものです。少しずつですが、きれいな花を咲かせています。約100年前に桜を贈った尾崎行雄の思い、そして、今なお深化し続ける日米友好の絆を象徴するかのようです。

今年の秋頃、尾崎財団では「桜とハナミズキ―日米友好の集い(仮称)」を開催する予定です。関連団体や米大使館の方をお招きし、改めて「桜とハナミズキ」の歴史を振り返りながら、尾崎行雄や先人たちの思いを今に伝え、広めていきたいと思います。


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党略政争を排す

「国の存続繁栄と国民の幸福」――。明治・大正・昭和の三代にわたり国会議員を務めた尾崎行雄の取り組みは、常にそれを目指したものでした。

武力を否定せず強硬論を唱えた頃の尾崎も。逆に、国際協調と軍縮を唱えた頃の尾崎も。また、個人の生命・財産・自由その他権利の重要性を説きつつも、普通選挙は時期尚早だとして選挙権拡大に消極的だった頃の尾崎も。そして、民主主義・立憲主義の重要性を説くと同時に、大日本帝国憲法という欽定憲法の下で立憲政治を実現しようとした頃の尾崎も。

一見、変節に見えたり、相対立する思想が混在し矛盾した行動に見えたりもしますが、いずれも、内外情勢の現実を冷静に見極めながら、国の存続繁栄と国民の幸福のために、その時々で最適な手段を考え抜いた結果といえます。

自分のためでも政党のためでもなく、国家国民のために、今の政治が議論・決断すべきことは何か。

以下は、第二次大戦終結後、危機に直面する日本において、党利党略で動く政治と、付和雷同する国民に対し、尾崎が投げかけた厳しい言葉です。
70年を経た今の政治はどうでしょうか。

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「党略政争を排す」

 今日各政党がやっていることは政策の争いではなく、党略本位の政争である。これほど悪いことはないのだが、国民は案外平気で眺めている。敗戦で国が生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている時だから、くだらぬ政争はやめて生産高を増すことに総がかりで努力すべきだ。現在のように消費的な喧嘩ばかりしていては問題にならない。野党の側でも内閣を倒すことだけは知り、後継内閣を作ることは知らない。

 先頃も幣原内閣を倒しはしたが作ることはできず、倒した内閣の外務大臣を迎えてようやくこれを組織し、そのうえ自由・進歩の両大政党は彼らが打撃し打倒した内閣の首相と外相を迎えて総裁とした。これでは政変の意味は全然ないのだが、国民も政党も平気である。あたかも古家を無理に壊し、古材木を集めて前より悪い家を作ったようなものだ。馬鹿馬鹿しい限りである。

 今は政争を中止して挙国一致救国政権を確立し、兎に角危機を突破すべきである。政争に没頭し、ストライキ騒ぎをやっているのは自滅の手伝いをやっているものといってよい。それには純真な青年が奮然躍起して、国を救う以外方法はなかろうと思われる。老人は昔の習慣や癖がぬけず、政党の争いをすぐ感情でやる。青年の純情と熱意だけが頼みである。

 しかるに地方によっては唯一の頼みである青少年までもがゼネストに参加したり、内閣打倒運動に協力したりしている。しかもろくにその理由も理解せず、漫然とやっている者が多いようだ。

 政治家は国家の存亡をよそに党争をやっている。資本家と労働者は喧嘩をする。都市と農村は軋轢している。今度の選挙は日本が更生復興するか否かを決する意味もあるので、どうか立派な選挙を行なってもらいたい。特に青年諸君に躍起してもらいたく熱願する次第である。

1947年(昭和22年)『咢堂清談』より
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桜とハナミズキ―先人たちの思い

今年も桜の季節がやってきました。
この時期、よくニュースで取り上げられるのが、ワシントンDCのポトマック河畔を彩る桜です。
ご存じの方も多いと思いますが、これは1912年、当時東京市長を務めていた尾崎行雄が、東京市から贈ったものです。

その歴史を簡単に振り返ってみましょう。

1909年、ヘレン・タフト米大統領夫人がポトマック河畔の景観整備を検討していたところ、米国の紀行作家エリザ・シドモア女史が、日本の桜の植樹を提案し、夫人も賛同しました。

そのことを、当時ニューヨークに在住していた高峰譲吉博士(アドレナリンの発見者。在留日本人会初代会長)が知り、日本から桜2千本を寄贈することを提案。さらにその費用は自分を含む在留日本人の有力者たちで分かち合うことまで提案しました。その後、水野幸吉・ニューヨーク総領事や高平小五郎駐米大使らによる調整の末、桜は日本の首都・東京市から公式に寄贈すべきということになりました。

外務省から打診を受けた尾崎行雄・東京市長は、以前から、日露戦争の際に好意的だったアメリカへの感謝の気持ちを何らかの形で表したいと考えていたため、これを好機と捉え快諾しました。

そして1909年8月、東京市会は、桜苗木2千本をワシントンDCへ寄贈することを決定し、翌年1月にワシントンDCに桜が到着しますが、検疫官によって害虫が発見され、すべて焼却処分されることになりました。

それを知った尾崎市長は、健全かつ優良な苗木を育成し、再び贈ることを決意。市参事会に諮り、同年4月に決定。そこから、国の威信をかけた苗木作りが始まります。その重責を担ったのが、農商務省農事試験場園芸部の主任技師・熊谷八十三(くまがい・やそぞう)氏でした。

そして1912年、害虫も病気も無い苗木3千本がワシントンDCに到着し、無事ポトマック河畔に植樹されました。その苗木は、当時の専門家が驚くほど完璧な出来栄えだったといいます。

その3年後の1915年、今度は米国から日本に、桜の返礼としてハナミズキが贈られました。著名な農学者W・T・スウィングル博士が米国を代表し、白花ハナミズキ40本を携え東京市を訪問。日本にハナミズキが入ってきたのは、この時が初めてです。返礼の花にハナミズキを推薦した植物学者D・フェアチャイルド博士は「米国の子供たちが日本から来た桜を愛でる時、日本の子供たちも米国から来たハナミズキを見て喜んでほしい」と願っていたそうです。そして、その白花ハナミズキ40本のうち2本を、先述の熊谷八十三氏が初代校長を務めた東京都立園芸高校が受け取りました。

さて、ポトマックに植樹された桜は、その後1938年、ポトマックに隣接するタイダル池にトーマス・ジェファーソン記念堂が建設される際、358本を切り倒すことが計画されました。しかし伐採の当日、ワシントンDCの婦人団体が、自分の体を木に縛り付け抵抗し、270本の桜の命を守り抜きました。

時は経って1960年、尾崎行雄を記念した「尾崎記念会館」(現・憲政記念館)建設の際、改めて米国政府からハナミズキの苗木250本が寄贈され、同館の庭に植樹されました。

その後、今日まで、日米両国のさまざまな関連団体が、この「桜とハナミズキ」を守り、語り継ぎ、両国の友好・親善に取り組んでいます。

毎年ワシントンで開催される「全米桜祭り」の取り組み。
そこで選出される「全米さくらの女王」と、独自に選出する「ハナミズキの女王」との交流や、伊勢の「横輪桜」を世界に広める「NPO法人・咢堂香風」の取り組み。
ポトマック桜の孫樹「里帰り咢堂桜」を国内で広め、植樹している「尾崎行雄を全国に発信する会」の取り組み。
返礼の白花ハナミズキ2本を受け取り、うち1本を、100年を経た今日まで見事に育成管理し続けている東京都立園芸高校の取り組み。

また近年では、2015年、返礼ハナミズキ100周年を記念し、駐日米国大使館から贈られたハナミズキ20本が、「NPO法人・咢堂香風」の土井孝子理事長の手によって、憲政記念館の庭に植樹されました。

日米友好の証として、今なお両国の友情を育み続ける「桜とハナミズキ」。

ヘレン・タフト大統領夫人、エリザ・シドモア女史、D・フェアチャイルド博士、高峰譲吉博士、尾崎行雄東京市長、熊谷八十三、ワシントンの婦人団体、その他多くの有名無名の先人たちの思いと努力があって、今があります。

これからが春本番。
そうした歴史と現在の取り組みに思いを馳せながら、憲政記念館の庭に咲く桜とハナミズキを、存分にお楽しみ下さい!


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国よりも党を重んじ、党よりも・・・

国政・地方を問わず、選挙が近づくと、他の政党やグループに移る、あるいは新たなグループを立ち上げる議員や立候補予定者が少なからず出てきます。

政治家が所属政党を変えることは、必ずしも悪いことではないでしょう。問題は、その政治家が何を目指し、どういう動機で政党を移っているか、ということです。

ご存じの通り、尾崎行雄は、何度も政党を移り、また、新しいグループをつくったり解散したりしています。しかしそれは、自分の利害や選挙の当落を考えて行ったものではありませんでした。

「金や数の力、親分子分のしがらみ」ではなく「道理と政策」で競い合える政党を目指し、「私利私欲」ではなく「国家・国民のため」の政策実現を追い求めた結果だったのです。

尾崎は、亡くなる4年前(1950年)、次の短歌を詠んでいます。

  国よりも
    党を重んじ
     党よりも
    身を重んじる
     人の群れかな

党を移る政治家。そこにあるのは、国家・国民のため、地域社会のためという信念か。それとも、ただただ自らの当落(=自分の利益)への執着か。

われわれ有権者は、そこを厳しくチェックし、「本物」を選んでいかなければなりません。


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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
**********************

【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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