桜とハナミズキ―先人たちの思い

今年も桜の季節がやってきました。
この時期、よくニュースで取り上げられるのが、ワシントンDCのポトマック河畔を彩る桜です。
ご存じの方も多いと思いますが、これは1912年、当時東京市長を務めていた尾崎行雄が、東京市から贈ったものです。

その歴史を簡単に振り返ってみましょう。

1909年、ヘレン・タフト米大統領夫人がポトマック河畔の景観整備を検討していたところ、米国の紀行作家エリザ・シドモア女史が、日本の桜の植樹を提案し、夫人も賛同しました。

そのことを、当時ニューヨークに在住していた高峰譲吉博士(アドレナリンの発見者。在留日本人会初代会長)が知り、日本から桜2千本を寄贈することを提案。さらにその費用は自分を含む在留日本人の有力者たちで分かち合うことまで提案しました。その後、水野幸吉・ニューヨーク総領事や高平小五郎駐米大使らによる調整の末、桜は日本の首都・東京市から公式に寄贈すべきということになりました。

外務省から打診を受けた尾崎行雄・東京市長は、以前から、日露戦争の際に好意的だったアメリカへの感謝の気持ちを何らかの形で表したいと考えていたため、これを好機と捉え快諾しました。

そして1909年8月、東京市会は、桜苗木2千本をワシントンDCへ寄贈することを決定し、翌年1月にワシントンDCに桜が到着しますが、検疫官によって害虫が発見され、すべて焼却処分されることになりました。

それを知った尾崎市長は、健全かつ優良な苗木を育成し、再び贈ることを決意。市参事会に諮り、同年4月に決定。そこから、国の威信をかけた苗木作りが始まります。その重責を担ったのが、農商務省農事試験場園芸部の主任技師・熊谷八十三(くまがい・やそぞう)氏でした。

そして1912年、害虫も病気も無い苗木3千本がワシントンDCに到着し、無事ポトマック河畔に植樹されました。その苗木は、当時の専門家が驚くほど完璧な出来栄えだったといいます。

その3年後の1915年、今度は米国から日本に、桜の返礼としてハナミズキが贈られました。著名な農学者W・T・スウィングル博士が米国を代表し、白花ハナミズキ40本を携え東京市を訪問。日本にハナミズキが入ってきたのは、この時が初めてです。返礼の花にハナミズキを推薦した植物学者D・フェアチャイルド博士は「米国の子供たちが日本から来た桜を愛でる時、日本の子供たちも米国から来たハナミズキを見て喜んでほしい」と願っていたそうです。そして、その白花ハナミズキ40本のうち2本を、先述の熊谷八十三氏が初代校長を務めた東京都立園芸高校が受け取りました。

さて、ポトマックに植樹された桜は、その後1938年、ポトマックに隣接するタイダル池にトーマス・ジェファーソン記念堂が建設される際、358本を切り倒すことが計画されました。しかし伐採の当日、ワシントンDCの婦人団体が、自分の体を木に縛り付け抵抗し、270本の桜の命を守り抜きました。

時は経って1960年、尾崎行雄を記念した「尾崎記念会館」(現・憲政記念館)建設の際、改めて米国政府からハナミズキの苗木250本が寄贈され、同館の庭に植樹されました。

その後、今日まで、日米両国のさまざまな関連団体が、この「桜とハナミズキ」を守り、語り継ぎ、両国の友好・親善に取り組んでいます。

毎年ワシントンで開催される「全米桜祭り」の取り組み。
そこで選出される「全米さくらの女王」と、独自に選出する「ハナミズキの女王」との交流や、伊勢の「横輪桜」を世界に広める「NPO法人・咢堂香風」の取り組み。
ポトマック桜の孫樹「里帰り咢堂桜」を国内で広め、植樹している「尾崎行雄を全国に発信する会」の取り組み。
返礼の白花ハナミズキ2本を受け取り、うち1本を、100年を経た今日まで見事に育成管理し続けている東京都立園芸高校の取り組み。

また近年では、2015年、返礼ハナミズキ100周年を記念し、駐日米国大使館から贈られたハナミズキ20本が、「NPO法人・咢堂香風」の土井孝子理事長の手によって、憲政記念館の庭に植樹されました。

日米友好の証として、今なお両国の友情を育み続ける「桜とハナミズキ」。

ヘレン・タフト大統領夫人、エリザ・シドモア女史、D・フェアチャイルド博士、高峰譲吉博士、尾崎行雄東京市長、熊谷八十三、ワシントンの婦人団体、その他多くの有名無名の先人たちの思いと努力があって、今があります。

これからが春本番。
そうした歴史と現在の取り組みに思いを馳せながら、憲政記念館の庭に咲く桜とハナミズキを、存分にお楽しみ下さい!


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ポピュリズムに抗った尾崎行雄

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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昨年来、イギリスのEU離脱決定、フランスのルペン党首率いる国民戦線の躍進、そしてアメリカのトランプ次期大統領の誕生など、「世界的なポピュリズム台頭」への懸念が高まっています。

ポピュリズムは、政治・社会の現状に不満や怒りを持つ大衆が立ち上がり、既存の支配体制を転換させる「改革のエネルギー」になることもあります。半面、大衆の不安・怒り・快楽といった感情を煽る政治家とそれを支持する大衆によって、目先の利益や「鬱憤晴らし」のための政治・政策が行われる、いわゆる「衆愚政治」をもたらすこともあります。

いずれの場合も、選挙・政党・議会といった民主的制度の運用によって行われるため、「民主政治=ポピュリズム=衆愚政治」といった批判がなされることもしばしばあります。

尾崎行雄は、民主政治には国民の「批判精神」が欠かせないと言います。それは、時の政府・政治家の言葉を鵜呑みにしたり、目先の利益や一時の感情にとらわれたりしない政治的態度を意味します。尾崎は、民主政治が衆愚政治に陥らないために、この批判精神の大切さを国民に対して厳しく訴え続けました。

国民の政治意識・態度の涵養によって「真の民主政治」を実現しようとした尾崎の取り組みは、ポピュリズムに抗うためのものだったとも言えます。尾崎は、時の権力に迎合せず、同時に、付和雷同する大衆に阿ることもありませんでした。

世界情勢と国内情勢の現実を見据え、目先の利益や感情にとらわれず、責任ある判断・行動をすることを、政府・政治家のみならず、国民の側にも厳しく求めたのです。

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昨年の暮れ、朝日新聞の取材を受け、上記のようなお話をさせて頂きました。
1月5日の朝日新聞の社説「未来への責任―逃げぬ政治で国民合意を」の冒頭部分で、尾崎行雄に触れた私の言葉が掲載されています。この社説では、超高齢社会における社会保障のあり方と必要な財源について、(たとえそれが国民に厳しい選択を迫るものであったとしても)先送りせず、国民としっかりと対話をし、課題を共有しながら、責任ある政治を行うことを現政権に求めています。その内容には概ね賛同しますが、同時に、政治家の「甘言」や「人気取りの政策」に惑わされない(ポピュリズムに陥らないための)国民の側の重要性・責任についても、もう少し強調して頂ければと思った次第です。



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相馬雪香さんとFAWA(アジア太平洋女性連盟)

アジア太平洋女性連盟(Federation of Asia-Pacific Women's Associations)――略して「FAWA」と言います。

尾崎行雄の三女・相馬雪香さんは、1950年、スイスで開催された国際会議に出席。そこで、フィリピンの上院議員ペクソン女史と出会います。かつて日本がフィリピンを占領していた頃、まだ若い娘さんだった女史は、日本を憎み、戦後も日本人を大変嫌っていたそうです。しかし、その国際会議で出会った相馬さんの言動に触れ、「日本の女性は変わった! 日本は変わる!」と感動されたそうです。

そして、1959年、相馬さんと女史が中心となって設立したのが「アジア婦人団体連盟」、現在の「アジア太平洋女性連盟」=FAWAです。アジアの女性の連帯を通じ、アジアひいては世界の平和の実現、女性の福祉向上を目的としています。

設立後は、各国・地域で、FAWA国際会議を2年ごとに持ち回りで開催しています。相馬さんは、韓国、台湾、グアム、インドネシア、シンガポール、フィリピンなどで開催された同会議に団長として出席し、そこでの研究成果を取りまとめるなどしました。

FAWA国際会議は、日本では、1970年(神奈川)、92年(大阪)、2007年(東京)と開催されています。特に2007年(相馬さんが亡くなる前年)、東京で開催された会議では、アジアにとどまらず世界73カ国の代表と、広く一般市民も参加しました。相馬さんは、そこで大変力強いスピーチを行ない、参加者に大きな感動を与えました。

この時、会議に全面協力し、成功に導いたのが「NPO法人一冊の会」(大槻明子会長)です。相馬さんは当時、同団体の最高顧問を務めていました。以後、台湾(2010年)、グアム(2012年)、韓国(2014年)で開催された会議では、相馬さんの遺志を継ぎ、「一冊の会」が日本代表団を務めました。そして、今年9月末から10月にかけてシンガポールで開催されるFAWA国際会議にも、「一冊の会」が日本代表として参加します。

「憲政の父」と呼ばれた政治家・尾崎行雄。その精神を継ぎ、平和のために行動した相馬雪香。さらにその精神を継いだ様々な団体――「NPO法人咢堂香風」、「尾崎財団・咢堂塾」、「尾崎を全国に発信する会」、「NPO法人難民を助ける会」、「国際IC日本協会」等々が、それぞれの形で平和に貢献しています。

「平和、平和って言うけど、誰でも、最初から大きなことはできないの。できないことをウダウダ言ったってしょうがない。とにかく、できることから始める。自分から動く。そう、だから……身近なことでいいんですよ。少しずつでいいんです。あなたにできる平和から始めなさい!」(『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』より)

相馬さんの遺志を継いだ多くの仲間たちが、相馬さんの言葉を胸に、「できることから始めています。」


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尾崎が詠んだ「憂国の歌」

尾崎行雄が詠んだ歌は一万首にのぼると言われています。
妻や娘への愛情、季節の移り変わりや自然の美しさ、亡き友への追慕など、様々な歌を詠んでいます。

中でも、日本の政治・国のあり方に対する思いを詠んだ歌は、数も多く、「尾崎らしさ」がよく表れています。

権力に阿ることなく、弾圧にも屈せず、自らの信念を貫いた尾崎。
ゆえに、しばしば暴漢に襲われ、命を狙われた尾崎。
そんな尾崎ならではの「憂国の歌」。

以下三首は、1924年(大正13年)12月19日夜、尾崎を刺すため、尾崎宅に侵入しようとした青年が捕まった際に詠んだ歌です。

■「老い朽ちて世に惜しからぬ身とならば我を刺すべき人もあらじな」
■「國のため我を刺さんと人ねらふ活き甲斐のある生命なるべし」
■「國のため命惜しまぬ誠あらば我を刺すてふ人も貴し」

また、同月25日、今度は暴徒13名が尾崎宅に乱入した際に詠んだ歌です。

■「大御代につくす誠はひとしきを知らでや人の我に仇する」

次の六首は、1937年(昭和12年)第70議会で行った、いわゆる「軍部攻撃演説」の際に懐に忍ばせた辞世の句です。

■「正成が陣にのぞめる心もて我は立つなり演壇の上」
■「大君も聞こしめせかし命にも代えて今日なす我言あげを」
■「身をすてて國救はんと思ふにぞ老も忘れて演壇に立つ」
■「長らへし甲斐ぞありける大君の御楯となりて命すてんは」
■「國のため命すてんと定めしは幾度なりし一人指折る」
■「一つよりあらぬ命を幾たびか棄てて尚活く恵まれし身か」

ちなみに後日、次のような歌も詠んでいます。

■「都度々々に辞世よみしが尚死なず恵まれし身か呪われし身か」

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誰が正しいかではなく、何が正しいか――。
自らの利害得失を顧みず、国のため、国民のために、文字通り命を賭して行動した政治家・尾崎行雄。
その信念と生き方は、いまを生きる私たち有権者・政治家に多くの示唆を与えてくれます。


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東京市長としての尾崎行雄

昨日(7月14日)、東京都知事選が告示され、各候補者が街頭で第一声を上げました。

都知事といえば、今から100年以上前、第二代東京市長(当時は「都」ではなく「市」)を務めた尾崎行雄が思い起こされます。

尾崎行雄は1903年から1912年まで東京市長を務めました。当時は、国会議員との兼職が可能で、尾崎は衆議院に議席を持ったまま市政運営に取り組みました。

この間の尾崎は、国会議員ではあったものの、ほとんど国政の場では活躍せず、新聞に「尾崎は死んだのか?」と皮肉を書かれることもありました。

尾崎は、東京市長としての丸9年間、国政における政党のしがらみや対立を市政に持ち込むことはせず、国政上の課題とは距離を置き、徹底して東京市の課題(東京市民の生活)と向き合いました。

外債を募集して市区改正を完成させるとともに、上下水道整備、道路改良・街路樹植栽など、市民の生活に直結するインフラ整備を次々と進めました。特に、数十年先を見据え、東京市の水源林を確保したことは、その後の市の発展と市民の生活向上に大いに役立ちました。

また、国政とは距離を置きながらも、東京市からアメリカに桜を寄贈し、日米両国の友好親善を促すなど、世界を見てきた尾崎ならではの国際感覚を生かした「自治体外交」も行いました。

そして何より、当時、「利権の巣窟」「伏魔殿」と呼ばれていた東京市政の金権腐敗・汚職を厳しく追及し、一掃したのです。尾崎の在任中は、汚職事件が一件も起きませんでした。

国政・政党のしがらみから距離を置き、市民の生活と真摯に向き合いながら、国際感覚を持って10年先・20年先を見据えた政策・改革を実行する、そして、利権を排し、不正を正す――東京市長時代の尾崎行雄の取り組みは、今の都知事のみならず、日本の首長全体に求められる要素ではないでしょうか。

東京都知事選の投開票日は、7月31日です。


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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
**********************

【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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