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東京都議会議員選挙の「投票心得」

1年前の6月25日、拙著『18歳からの投票心得10か条』の出版記念パーティーが憲政記念館で開催されました。その3日前の22日、参議院議員通常選挙が公示され、7月10日が投開票日というタイミングでした。

私は挨拶の中で、「この本は、政治や選挙と初めて向き合うという若い人たちに読んで頂きたいと同時に、これまでの政治や選挙のあり方に慣れてしまった大人の皆さんに、もう一度、その本質を見つめ直す意味で読んで頂きたいのです。そしてこの本は、『投票率を高める』ことよりも『投票の(一票の)質を高める』ことが大切だという思いで書きました」と述べました。

それからちょうど1年後の今、舞台は国政から都政に移り、都議会議員選挙の真っ只中です。
『18歳からの・・・』には、憲政の父・尾崎行雄が掲げた投票心得を10項目に整理して載せています。それは国政選挙を対象にしたものですが、地方選挙に対しても多くの示唆を与えてくれます。以下3つほど紹介します。

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第1条
 何よりもまず、自分はいかなる政治を希望するかという自分の意思を、はっきり決めてかかることが大切だ。選挙は、国民の意思を国政に反映させるために行われる。つまり、反映する本体がしっかりしていなければならない。有権者自身に政治的意思――どのような政治、どのような国・社会を実現したいと考えるのか――がなければ、いくら投票しても意味がない。


第2条
「出たい人より、出したい人を!」――これは先年、東京市政刷新運動が起こった時、以前東京市長を務めていた人から標語を募ったことがある。その求めに応じて私がつくった標語である。候補者自身の〝出たい〟という意向よりも、有権者の側の〝出したい〟という意向が重視されること。有権者のための選挙である以上、こうあるべきが当然だ。


第7条
 演説会場その他あらゆる機会をとらえて、有権者は各政党または候補者に向かって、具体的な政策を明示するように要求しなければならない。そして政党本部で発表した政策と候補者の言質(げんち)を箇条書きにして、台所の壁にでも貼っておき、実行された公約の上には○をつけ、実行されなかった公約の上には×をつけるようにすること。公約を裏切った政党や議員に対しては、次の選挙の時に絶対に投票しないことを覚悟すれば、政党も議員も、完全に有権者によってリードされるようになる。
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国政であれ地方政治であれ、有権者として、どのような国・社会を希求し、そのためにどのような政策が望ましいかを自らの頭でしっかりと考え、候補者に厳しく問いただしていく姿勢が求められます。そして何より、選挙の主役は候補者ではなく有権者であるという自覚と責任感が求められます。

レッテルを貼り、一方的に他候補(他政党)を誹謗中傷するような言説は論外として、公約に掲げられた政策が、単に聞き心地の良いイメージ先行型のものでないか、財源の裏付けに乏しい付け焼刃のものでないか、また候補者の党籍・主義主張の変更が本当に都政のために行われたものかどうか(=自らの当選・自己保身のためでないか)、都民は厳しく見極めていかなければなりません。

6月23日に告示された東京都議会議員選挙。投票日は7月2日です。


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国民主体の憲法論議を―対立から対話へ

 日本国憲法施行70周年を迎えた5月3日、安倍晋三首相は、新聞インタビューや改憲派集会へのビデオメッセージの中で、「憲法改正・2020年施行」を目指す考えを表明した。

 目標年を、東京五輪・パラリンピックの開催年に設定したことへの賛否はあるが、期限が提示されたことにより、これまで以上に改憲論議が加速することが予想される。

 言うまでもないが、その議論の過程において、憲法を変えること(または変えないこと)それ自体を目的化するのは誤りだ。改憲するか否かは手段であって、目的ではない。

 そもそも憲法とは、国民の生命・財産・自由その他の権利を守り、国民の幸福を図ることを目的に、統治の原理・機構とその権限を定めたものである。仮に、内外環境の変化により、現憲法では国民の生命・財産・自由を守り切れないというのであれば、守れるように変えるべきである。逆に、十分に守れる、むしろ変えることで国民が脅かされるというのであれば、変えるべきではない。

 いずれにせよ、改憲派・護憲派の双方が感情的対立を越え、国民の幸福を図るための国家のあり方・役割について、事実を基に冷静に意見を出し合う「対話の時期」に来ているのではないか。

 かつて「憲政の神」と呼ばれた尾崎行雄は、大日本帝国憲法(欽定憲法)の下であっても、国民が立憲主義を理解し、その精神を身に付ければ、同憲法の立憲的運用は可能だと考えた。また、日本国憲法がどんなに立派な憲法であっても、立憲主義・民主主義の精神が国民に根付かなければ「豚に真珠」と喝破した。

 尾崎は、立憲政治には批判精神が不可欠だと言う。当時の国民の「長い物には巻かれろ。お上には逆らうな」という権力追従の態度と、周囲に無批判に同調し付和雷同する態度を厳しく批判した。換言すれば、政治を「お上任せ」にせず、国民一人一人が国のあり方に責任を持ち、この国をどうしたいかを自らの頭で考え抜くことが、立憲政治の屋台骨になるということだ。

 これから加速するであろう改憲論議においても、国のあり方を決める政治の主体(=統治機構をコントロールする主権者)としての国民の意識が重要となる。

 冒頭の「2020年施行目標表明」に先立つ5月1日、安倍首相は、超党派の新憲法制定議員同盟の集会で、改憲の「機は熟した」と語った。国会議員だけの「盛り上り」では意味がない。国民全体の主権者意識が高まり、国民主体で憲法論議が進められて初めて機は熟す。


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党略政争を排す

「国の存続繁栄と国民の幸福」――。明治・大正・昭和の三代にわたり国会議員を務めた尾崎行雄の取り組みは、常にそれを目指したものでした。

武力を否定せず強硬論を唱えた頃の尾崎も。逆に、国際協調と軍縮を唱えた頃の尾崎も。また、個人の生命・財産・自由その他権利の重要性を説きつつも、普通選挙は時期尚早だとして選挙権拡大に消極的だった頃の尾崎も。そして、民主主義・立憲主義の重要性を説くと同時に、大日本帝国憲法という欽定憲法の下で立憲政治を実現しようとした頃の尾崎も。

一見、変節に見えたり、相対立する思想が混在し矛盾した行動に見えたりもしますが、いずれも、内外情勢の現実を冷静に見極めながら、国の存続繁栄と国民の幸福のために、その時々で最適な手段を考え抜いた結果といえます。

自分のためでも政党のためでもなく、国家国民のために、今の政治が議論・決断すべきことは何か。

以下は、第二次大戦終結後、危機に直面する日本において、党利党略で動く政治と、付和雷同する国民に対し、尾崎が投げかけた厳しい言葉です。
70年を経た今の政治はどうでしょうか。

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「党略政争を排す」

 今日各政党がやっていることは政策の争いではなく、党略本位の政争である。これほど悪いことはないのだが、国民は案外平気で眺めている。敗戦で国が生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている時だから、くだらぬ政争はやめて生産高を増すことに総がかりで努力すべきだ。現在のように消費的な喧嘩ばかりしていては問題にならない。野党の側でも内閣を倒すことだけは知り、後継内閣を作ることは知らない。

 先頃も幣原内閣を倒しはしたが作ることはできず、倒した内閣の外務大臣を迎えてようやくこれを組織し、そのうえ自由・進歩の両大政党は彼らが打撃し打倒した内閣の首相と外相を迎えて総裁とした。これでは政変の意味は全然ないのだが、国民も政党も平気である。あたかも古家を無理に壊し、古材木を集めて前より悪い家を作ったようなものだ。馬鹿馬鹿しい限りである。

 今は政争を中止して挙国一致救国政権を確立し、兎に角危機を突破すべきである。政争に没頭し、ストライキ騒ぎをやっているのは自滅の手伝いをやっているものといってよい。それには純真な青年が奮然躍起して、国を救う以外方法はなかろうと思われる。老人は昔の習慣や癖がぬけず、政党の争いをすぐ感情でやる。青年の純情と熱意だけが頼みである。

 しかるに地方によっては唯一の頼みである青少年までもがゼネストに参加したり、内閣打倒運動に協力したりしている。しかもろくにその理由も理解せず、漫然とやっている者が多いようだ。

 政治家は国家の存亡をよそに党争をやっている。資本家と労働者は喧嘩をする。都市と農村は軋轢している。今度の選挙は日本が更生復興するか否かを決する意味もあるので、どうか立派な選挙を行なってもらいたい。特に青年諸君に躍起してもらいたく熱願する次第である。

1947年(昭和22年)『咢堂清談』より
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国よりも党を重んじ、党よりも・・・

国政・地方を問わず、選挙が近づくと、他の政党やグループに移る、あるいは新たなグループを立ち上げる議員や立候補予定者が少なからず出てきます。

政治家が所属政党を変えることは、必ずしも悪いことではないでしょう。問題は、その政治家が何を目指し、どういう動機で政党を移っているか、ということです。

ご存じの通り、尾崎行雄は、何度も政党を移り、また、新しいグループをつくったり解散したりしています。しかしそれは、自分の利害や選挙の当落を考えて行ったものではありませんでした。

「金や数の力、親分子分のしがらみ」ではなく「道理と政策」で競い合える政党を目指し、「私利私欲」ではなく「国家・国民のため」の政策実現を追い求めた結果だったのです。

尾崎は、亡くなる4年前(1950年)、次の短歌を詠んでいます。

  国よりも
    党を重んじ
     党よりも
    身を重んじる
     人の群れかな

党を移る政治家。そこにあるのは、国家・国民のため、地域社会のためという信念か。それとも、ただただ自らの当落(=自分の利益)への執着か。

われわれ有権者は、そこを厳しくチェックし、「本物」を選んでいかなければなりません。


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学校での主権者教育について

『18歳からの投票心得10カ条』の出版元(世論時報社)発行の月刊誌『世論時報(せろんじほう)』に、主権者教育に関する私のインタビューが掲載されています。以下は、その一部抜粋です。
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『世論時報』平成28年6月号 特集「18歳からの選挙が始まる」
石田尊昭インタビュー(聞き手/本誌・河田英治)

■授業は「きっかけづくり」

――昨年、選挙権年齢が「満18歳以上」に引き下げられ、改めて、学校における「主権者教育」のあり方が問われていますが、このことについてどのように思いますか。

(石田)学校の授業として行う主権者教育では、生徒たちに、「民主主義とは何か」という本質的な問いかけも含め、実際の社会的課題や政策について「考え、悩む時間」を与えることが重要だと考えます。
 主権者教育の目的は、政治・政策の問題を自分の頭でしっかりと考え、意見を出し合い、異なる意見や少数意見にも耳を傾けるという民主的態度を生徒に身に付けてもらうことです。
 主権者教育は、授業の中だけで完結できるものではありません。むしろ授業以外のところで、政治・政策について生徒たちが日常的に考え、議論することが求められます。授業は、それを促すための「きっかけづくり」と考えるべきでしょう。
 …言うまでもありませんが、授業の目的は、生徒に政治用語を暗記させたり、政治・政策上の何らかの「答え」を出させることではありません。生徒自身が、政治・政策の問題を身近に感じ、日常的に考え、悩み、調べ、意見を出し合えるようになること。そのきっかけとなるような学びや体験(議論の経験)を授業で提供することが必要です。

■授業における政治的中立性とは

――以前から指摘されていたことは、「政治的中立性」を、教員がどのように受け止め、教えられるかということでした。

(石田)政治的に中立な授業というのは、「政治・政策に対する意見表明(価値判断)を扱わない授業」ということではありません。その逆です。ある社会的課題や政策について、生徒たちに積極的に意見を出し合ってもらうことが必要です。
 原発・エネルギー、消費税、社会保障、安全保障など、いずれも政治的に対立している現実の政策テーマです。例えば、「サマータイム制導入の是非」とか「地域活性化に向けて」とか、また「日本のエネルギーの未来を考えよう」といったように、あえて政策的争点を伏せた形で議論を深めることも悪くはありません。しかし、実際の選挙においては、政策的争点を考えないわけにはいきません。授業では、政策の見方や、何が争点なのかを考える訓練も必要です。
 中立性を保つということは、政治的対立、政策的争点を見せないことではありません。政治・政策には多様な意見があるということを共有しながら、それぞれの意見を公平に扱う(特定の意見に肩入れしない)ということです。
 そこでは、ある政策について「メリット・デメリットは何か。誰に、どういう割合で受益と負担が生じるのか」といった「政策の見方」を示すことが必要です。そのうえで、その政策のどこが対立しているのか、賛成・反対それぞれの意見・理由を生徒たちに示し、じっくりと考え、意見を出し合ってもらい、さらに調べてもらう(調べたいと思ってもらう)ことが重要です。

■メディア・リテラシーを育むこと

――政治・政策について、授業の中で議論する場合も、また、授業以外で生徒たちが自発的に考え、調べる場合も、どういう情報をもとに行うべきかという問題については、どのようにすればよいですか。

(石田)政治・政策に関する情報は、通常、私たちはメディア(情報媒体)から手に入れます。…膨大な情報の中には、正確なものもあれば不正確なものもあります。また、事実もあれば、そうでないものもあります。さらに、情報の受け手の印象を操作して、ある一定の方向に意見(価値判断)を誘導しようとするものもあります。
 各種メディアの特性や長所・短所を知ったうえで、情報を適切に識別し、評価・判断する能力を「メディア・リテラシー」と言います。
私は、主権者教育で最も重要なことの一つに、まさにこの「メディア・リテラシー教育」があると考えています。
 授業で政治・政策を取り扱う際も、多様なメディアから、多様な意見を取り上げることが求められます。そして、授業以外のところでも、生徒たちが情報を適切に評価・判断できるように「メディアの活用の仕方」を示すことも重要です。
 主権者教育では、生徒が自ら多様なメディアに触れ、情報を比較しながら、さまざまな角度から考えることを促すことが重要だと考えます。

■「一票」の意味―民主主義の本質を問う

――生徒が校外で政治活動に参加する場合、事前の届け出を義務化しようとする高校もあります。校内・校外にかかわらず、生徒が政治活動や選挙運動について、学校はどこまで関与すべきか、ということについてどのように考えますか。

(石田)…届け出制については、「生徒の安全確保」が目的とされており、生徒の政治的信条に踏み入らないように配慮することが求められています。しかし、届け出をする生徒の側にしてみれば、思想や行動がチェックされて進学や就職に影響が出るのではないかといった不安が生じ、それによって政治活動が萎縮することも十分考えられるでしょう。
 届け出制の是非を問うことや、校内での政治活動等の範囲を検討していくことも重要ですが、そもそも生徒が危険に晒されたり、違法行為に巻き込まれたり(あるいは違法行為をしたり)、学校教育に支障を生じさせるような政治活動等をさせないために、主権者教育があるわけです。
 私は冒頭で、授業における主権者教育では「民主主義とは何か」という本質を問うことも重要だと述べました。それは、「一票」が持つ意味や大切さについて考えることでもあります。自分の一票を大切にする人は、他者の一票も大切にします。「一票では何も変えることができない」と考える若者も少なくありません。一票で変わるか変わらないかより、その一票が自分自身の政治的意思の表れであり、一票を大事に扱うことは、生徒が自分という存在を尊び、大事にすることであるという自覚を持てるようにすることが、主権者教育に求められることではないかと思います。(了)

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下記サイトで、全文(PDF)がお読み頂けます。

『18歳からの投票心得10カ条』特設サイト


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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
**********************

【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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