相馬雪香さんが情熱を注いだ〝民主主義のための人づくり〟
相馬雪香さんが亡くなった直後、生前の相馬さんの様子・取り組みについて、新聞社・雑誌社から尾崎財団に多くの問い合わせや取材が相次いだ。
そして数ヶ月を経た今でも、テレビや新聞などの取材を受けることがある。
相馬さんといえば、やはり「難民を助ける会」が有名だ。いずれのメディアも、その会の立ち上げや活動内容を中心に〝ストーリー〟を組み立てるようだ。確かにそれは間違っていない。「難民を助ける会」の取り組みが、国内外に大きな影響を与えた(与え続けている)ことを考えると、当然そこがクローズアップされるべきだ。
他方、ここ十数年の相馬さんの取り組みを、身近で見てきた秘書の僕としては、少し違った視点を持っている。
相馬さんは、ここ十年、亡くなる直前まで、その力と情熱を最も注いだのは〝民主主義を成熟させるための人材育成・人づくり〟だった。尾崎財団の「咢堂塾」などは、まさにそうした相馬さんの思いから創られたものだ。もちろん「咢堂塾」だけではない。相馬さんがあらゆる場面で訴え続けたのは、「未来を担う若者への期待と、民主主義を支える市民精神の大切さ」だった。そのことを伝えるために、自らの体験や取り組み、志を情熱的に語り続けたのだ。
そして、この〝民主主義のための人づくり〟こそ、相馬さんの父・尾崎行雄が最も重視していたことである。民主主義は、制度だけではだめで、その制度を生かす精神が必要である・・・父の遺志を相馬さんは受け継ぎ、晩年、実行に移したのだ。
↓クリックをお願いします

にほんブログ村
そして数ヶ月を経た今でも、テレビや新聞などの取材を受けることがある。
相馬さんといえば、やはり「難民を助ける会」が有名だ。いずれのメディアも、その会の立ち上げや活動内容を中心に〝ストーリー〟を組み立てるようだ。確かにそれは間違っていない。「難民を助ける会」の取り組みが、国内外に大きな影響を与えた(与え続けている)ことを考えると、当然そこがクローズアップされるべきだ。
他方、ここ十数年の相馬さんの取り組みを、身近で見てきた秘書の僕としては、少し違った視点を持っている。
相馬さんは、ここ十年、亡くなる直前まで、その力と情熱を最も注いだのは〝民主主義を成熟させるための人材育成・人づくり〟だった。尾崎財団の「咢堂塾」などは、まさにそうした相馬さんの思いから創られたものだ。もちろん「咢堂塾」だけではない。相馬さんがあらゆる場面で訴え続けたのは、「未来を担う若者への期待と、民主主義を支える市民精神の大切さ」だった。そのことを伝えるために、自らの体験や取り組み、志を情熱的に語り続けたのだ。
そして、この〝民主主義のための人づくり〟こそ、相馬さんの父・尾崎行雄が最も重視していたことである。民主主義は、制度だけではだめで、その制度を生かす精神が必要である・・・父の遺志を相馬さんは受け継ぎ、晩年、実行に移したのだ。
↓クリックをお願いします

にほんブログ村
スポンサーサイト