「総理大臣に最も必要なものは徳義」―尾崎咢堂言行録(10)
以下の文は、尾崎が国会議員として約50年を経た時に書いたものだ。
尾崎はその間、多くの首相、大臣を見てきた。
そして自身も、1898年に文部大臣、1914年に司法大臣を務めた。
そうした経験から、首相や大臣に最も必要な資質として「徳」を挙げている。
リーダーには「徳」が必要である、とは、いつの世でも語られることで、そこに真新しさはない。「ありふれた指摘」といえるだろう。
しかし、見方を変えれば、それだけ「普遍的」ということなのかもしれない。
以下は、尾崎が自らの50年におよぶ国会議員としての経験の中で得た一つの結論である。
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「総理大臣に最も必要なものは徳義」
総理大臣の資格として、包容、統御、調和の三能力が、必要であることを述べたが、更に一層必要なものは徳望である。
智恵や分別は幾らあっても、高の知れたもので、ただ徳望のみが数万人を動かす力をもっている。然るに近来不思議なことには、一般に腕とか力というものばかりに重きを置いて、徳義に向かって、力の入れ方が足りない。
あの人は偉いとか偉くないとかいう、その標準は何かと尋ねると、腕があるとか無いとかいうことになる。腕だけでは多数を服従させることは出来ない。
特に人の上に立つ者は、人を使うのであるから、己れの腕よりか、他人に腕を使わせる考えを以ってその性格を養成して行かなければならぬ。それは主として徳である。
一国の政治家などについても無論その通りである。太政大臣は才と学と徳、この三つを備えなければ、その位につくことは許されぬものと、我国の昔の制度では決まっていた。
…こういう高い位地には、腕や智恵を以って小仕事をする人間を据えては宜しくない。仕事は次官以下の小役人にさせ、大臣たるものは、その上に立って、何も働かないで宜しいから、国家の危急存亡のときに、万民をして安心して、その業務に就かしめるようにすべきである。
以上、『日本はどうなるか』(1937年・昭和12年)より抜粋
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尾崎はその間、多くの首相、大臣を見てきた。
そして自身も、1898年に文部大臣、1914年に司法大臣を務めた。
そうした経験から、首相や大臣に最も必要な資質として「徳」を挙げている。
リーダーには「徳」が必要である、とは、いつの世でも語られることで、そこに真新しさはない。「ありふれた指摘」といえるだろう。
しかし、見方を変えれば、それだけ「普遍的」ということなのかもしれない。
以下は、尾崎が自らの50年におよぶ国会議員としての経験の中で得た一つの結論である。
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「総理大臣に最も必要なものは徳義」
総理大臣の資格として、包容、統御、調和の三能力が、必要であることを述べたが、更に一層必要なものは徳望である。
智恵や分別は幾らあっても、高の知れたもので、ただ徳望のみが数万人を動かす力をもっている。然るに近来不思議なことには、一般に腕とか力というものばかりに重きを置いて、徳義に向かって、力の入れ方が足りない。
あの人は偉いとか偉くないとかいう、その標準は何かと尋ねると、腕があるとか無いとかいうことになる。腕だけでは多数を服従させることは出来ない。
特に人の上に立つ者は、人を使うのであるから、己れの腕よりか、他人に腕を使わせる考えを以ってその性格を養成して行かなければならぬ。それは主として徳である。
一国の政治家などについても無論その通りである。太政大臣は才と学と徳、この三つを備えなければ、その位につくことは許されぬものと、我国の昔の制度では決まっていた。
…こういう高い位地には、腕や智恵を以って小仕事をする人間を据えては宜しくない。仕事は次官以下の小役人にさせ、大臣たるものは、その上に立って、何も働かないで宜しいから、国家の危急存亡のときに、万民をして安心して、その業務に就かしめるようにすべきである。
以上、『日本はどうなるか』(1937年・昭和12年)より抜粋
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