「民主政治を妨げるものは、国民の無自覚怠慢」―尾崎咢堂言行録(11)
尾崎行雄は、民主政治を「有権者中心の政治」と言い、「その国を活殺するは国民にあり」と言った。
国を活かすも殺すも国民次第。民主政治のもとでは、国民一人ひとりの意識と行動が問われる。
以下は、民主政治に対する尾崎の根本的な考え方の一つである。
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「民主政治を妨げるものは、国民の無自覚怠慢」
民主主義という言葉にはいろいろの解釈があって、一定の定義を下すことは難しいが、その根本思想が、自由と平等と生存権の要求にあることは確かだ。…この自由と平等と生存権の要求を、完全に保障し且つ実現することが民主政治の使命である。
そして、そういう政治は誰が行なうか。新憲法(=日本国憲法)を活かすか殺すかは、全くこの問いに対する国民一人一人の回答によって決すというも、おそらく過言ではないであろう。…
ここに立派な哲人政治家があって、常に人民の味方となり、人民のためにすこぶるいい政治を行なったとせよ。…かかる善政は民主政治と云えるか? 否である。それがどれほど国民に幸福を与える政治でも、少数の支配者によって行なわれる政治は、民主政治ではない。民主政治は必ず人民自身によって行なわれる政治でなければならぬ。…
もし国民が、正しい選挙を行ない、選出せられた代議士が真正な政党を結び、…全国民を後ろ盾にした政党内閣制度を確立することに成功しておりさえすれば、明治憲法の下でも「人民による」民主政治はできたはずである。…
今日、もし日本の民主化の実現を妨げるものありとすれば、それは唯一つ、国民自身の無自覚怠慢があるだけである。
以上、『民主政治読本』(1947年・昭和22年)より抜粋
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国を活かすも殺すも国民次第。民主政治のもとでは、国民一人ひとりの意識と行動が問われる。
以下は、民主政治に対する尾崎の根本的な考え方の一つである。
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「民主政治を妨げるものは、国民の無自覚怠慢」
民主主義という言葉にはいろいろの解釈があって、一定の定義を下すことは難しいが、その根本思想が、自由と平等と生存権の要求にあることは確かだ。…この自由と平等と生存権の要求を、完全に保障し且つ実現することが民主政治の使命である。
そして、そういう政治は誰が行なうか。新憲法(=日本国憲法)を活かすか殺すかは、全くこの問いに対する国民一人一人の回答によって決すというも、おそらく過言ではないであろう。…
ここに立派な哲人政治家があって、常に人民の味方となり、人民のためにすこぶるいい政治を行なったとせよ。…かかる善政は民主政治と云えるか? 否である。それがどれほど国民に幸福を与える政治でも、少数の支配者によって行なわれる政治は、民主政治ではない。民主政治は必ず人民自身によって行なわれる政治でなければならぬ。…
もし国民が、正しい選挙を行ない、選出せられた代議士が真正な政党を結び、…全国民を後ろ盾にした政党内閣制度を確立することに成功しておりさえすれば、明治憲法の下でも「人民による」民主政治はできたはずである。…
今日、もし日本の民主化の実現を妨げるものありとすれば、それは唯一つ、国民自身の無自覚怠慢があるだけである。
以上、『民主政治読本』(1947年・昭和22年)より抜粋
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