「愛すればこそ」―尾崎咢堂言行録(38)
憲政擁護運動の際、閥族打破を訴え全国を遊説した尾崎は、犬養毅とならんで「憲政二柱(ふたはしら)の神」と呼ばれた。
他方、満州事変以降、軍部批判と軍備縮小を唱えた尾崎は、「国賊・尾崎を殺せ」と言われ、しばしば命を狙われた。
「神」と呼ばれ、「賊」とも呼ばれた尾崎。
世間になんと言われようとも、尾崎の中には「この国・日本を愛すればこそ」という思いがあったに違いない。
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「愛すればこそ」
私はひと頃、よく友達から「なぜ日本の短所欠点ばかり挙げて、英米の悪口を言わないのか」と問われた。この問いに対して、私は常に「自国は愛するが他国はあまり愛さないからだ」と答えた。
自分の子供に対しては小言を言うが、他人の子供には、小言を言わないのみならず、事実以上に褒めることさえあるのが世の常だ。愛すればこそ小言も言え、愛しもしないのに、小言を言って怒らせることもない。愛して、その醜さを知り、憎んで、その美しさを知るものでなければ、ともに国家天下を語るに足らずというのが、私の平生の心意気である。
現在の日本はどちらを向いても真っ暗闇で、ローソクの光ほどの明るさかもしれない。しかし、もし大方の日本人が、この亡国の悲運を転じて興国の門出とする意気を持って立ち直る気になれば、われわれは今こそ、その絶好のチャンスをつかんでいることを知るであろう。
以上『民主政治読本』(1947年・昭和22年)より
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他方、満州事変以降、軍部批判と軍備縮小を唱えた尾崎は、「国賊・尾崎を殺せ」と言われ、しばしば命を狙われた。
「神」と呼ばれ、「賊」とも呼ばれた尾崎。
世間になんと言われようとも、尾崎の中には「この国・日本を愛すればこそ」という思いがあったに違いない。
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「愛すればこそ」
私はひと頃、よく友達から「なぜ日本の短所欠点ばかり挙げて、英米の悪口を言わないのか」と問われた。この問いに対して、私は常に「自国は愛するが他国はあまり愛さないからだ」と答えた。
自分の子供に対しては小言を言うが、他人の子供には、小言を言わないのみならず、事実以上に褒めることさえあるのが世の常だ。愛すればこそ小言も言え、愛しもしないのに、小言を言って怒らせることもない。愛して、その醜さを知り、憎んで、その美しさを知るものでなければ、ともに国家天下を語るに足らずというのが、私の平生の心意気である。
現在の日本はどちらを向いても真っ暗闇で、ローソクの光ほどの明るさかもしれない。しかし、もし大方の日本人が、この亡国の悲運を転じて興国の門出とする意気を持って立ち直る気になれば、われわれは今こそ、その絶好のチャンスをつかんでいることを知るであろう。
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