尾崎行雄 「誰のための選挙か」
今、都議選の真っ只中。そして来月は参院選も控えています。
尾崎行雄は、「民主政治は有権者中心の政治である」と言い、ゆえに「選挙中心の政治である」と言いました。
そして、私たちの持つ一票こそ「人間の生命・財産その他の権利・自由を確保する最後唯一の自衛権である」と言います。
民主主義に対する尾崎の思いを噛みしめながら投票に臨みたいと思います。
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「誰のための選挙か」
立憲政治の国では、その政治は一から十まで法律に基づいて行なわれる。したがって、国民生活の幸不幸はすべて法律のでき具合で決まる。もし立法府が、国民の権利や自由を束縛したり、不当・不公平な税金をかけるような法律をつくれば、国民の被る迷惑は甚大であろう。いかなる場合にも、絶対に国民を裏切らない法律制定者(立法府)をつくるか否かを決める力は、一票の選挙権である。この一票こそ、人間の生命・財産その他の権利・自由を確保する最後唯一の自衛権であることを知らなければならない。
それほど大切な選挙権をどう使えばいいのか、投票は誰のためにするのか、自分の不利益になるような法律をつくらせない代表者を選ぶために使わなければならない。自分自身のためにする投票でなければならないことは明らかなはずだが、わが国の有権者の中には、今でも選挙は候補者のためにするものと心得ている人がかなりたくさんあるようだ。
候補者のための選挙だと思えばこそ、頼まれたから、金をくれたから、義理があるから入れてやるという気にもなる。もし選挙は自分の生命・財産その他の権利・自由を守るための番人を選ぶことだと悟れば、どんな馬鹿でも、頼まれたから入れるのではない、こちらから頼んで出てもらうのだ。候補者から金を貰うどころか、選挙の入費は、頼む側の有権者のほうで持ち寄るぐらいしなければ、信用のおける番人は出てくれないことぐらい気がつきそうなものである。
以上、『民主政治読本』(1947年・昭和22年)より抜粋
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尾崎行雄は、「民主政治は有権者中心の政治である」と言い、ゆえに「選挙中心の政治である」と言いました。
そして、私たちの持つ一票こそ「人間の生命・財産その他の権利・自由を確保する最後唯一の自衛権である」と言います。
民主主義に対する尾崎の思いを噛みしめながら投票に臨みたいと思います。
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「誰のための選挙か」
立憲政治の国では、その政治は一から十まで法律に基づいて行なわれる。したがって、国民生活の幸不幸はすべて法律のでき具合で決まる。もし立法府が、国民の権利や自由を束縛したり、不当・不公平な税金をかけるような法律をつくれば、国民の被る迷惑は甚大であろう。いかなる場合にも、絶対に国民を裏切らない法律制定者(立法府)をつくるか否かを決める力は、一票の選挙権である。この一票こそ、人間の生命・財産その他の権利・自由を確保する最後唯一の自衛権であることを知らなければならない。
それほど大切な選挙権をどう使えばいいのか、投票は誰のためにするのか、自分の不利益になるような法律をつくらせない代表者を選ぶために使わなければならない。自分自身のためにする投票でなければならないことは明らかなはずだが、わが国の有権者の中には、今でも選挙は候補者のためにするものと心得ている人がかなりたくさんあるようだ。
候補者のための選挙だと思えばこそ、頼まれたから、金をくれたから、義理があるから入れてやるという気にもなる。もし選挙は自分の生命・財産その他の権利・自由を守るための番人を選ぶことだと悟れば、どんな馬鹿でも、頼まれたから入れるのではない、こちらから頼んで出てもらうのだ。候補者から金を貰うどころか、選挙の入費は、頼む側の有権者のほうで持ち寄るぐらいしなければ、信用のおける番人は出てくれないことぐらい気がつきそうなものである。
以上、『民主政治読本』(1947年・昭和22年)より抜粋
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