東京都知事選スタート:尾崎行雄の東京市長時代
1月23日、東京都知事選が告示され、2月9日の投開票に向けた選挙戦がスタートしました。
「憲政の神」「議会の父」と呼ばれた尾崎行雄は、今から111年前の1903年、第2代東京市長(現在の都知事)に就任し、1912年までの9年間、都政を司りました。
「尾崎行雄の東京市長時代」というと、真っ先に思い浮かぶのが、米国ワシントンへの桜3000本寄贈のエピソードです。今なお、日米友好親善の証としてポトマック河畔を彩り、毎年、全米桜フェスティバルが開催されていることを思うと、当時の尾崎市長による「自治体外交」は、時代を超えて大きな成果をもたらしたといえるでしょう。
しかし、忘れてはならないのは、そうした「華やかな外交エピソード」の一方で、東京市長時代の尾崎は、実務的な手腕を発揮し、東京市のインフラ整備を着実に進めていったことです。市区改正、上水道拡張、下水道工事、道路改良、街路樹植栽、港湾整備、東京市街鉄道の買収、ガス会社の合併等々…。特に、多摩川水源林調査に着手(自ら現地を視察)し、市の水源林を買収確保したことは、その後の東京市の発展、市民の生活向上に大いに役立ちました。
インフラ整備=公共事業というと、なんとなく「汚職」という文字が浮かんできますが、尾崎は、そうした不正・腐敗の芽をつみとるべく、市政の隅々にまで厳しい目を向けました。その結果、尾崎の9年に及ぶ在任期間中、(それまで伏魔殿と呼ばれていた)東京市では汚職・疑獄事件は一度も起こらなかったそうです。
東京市長時代の尾崎行雄。
都が抱える行政課題を的確に把握し、解決に取り組む実務的手腕とリーダーシップ。国際性と先見性と革新性。そして清廉な政治。今まさに都知事に求められる資質ではないでしょうか。
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「憲政の神」「議会の父」と呼ばれた尾崎行雄は、今から111年前の1903年、第2代東京市長(現在の都知事)に就任し、1912年までの9年間、都政を司りました。
「尾崎行雄の東京市長時代」というと、真っ先に思い浮かぶのが、米国ワシントンへの桜3000本寄贈のエピソードです。今なお、日米友好親善の証としてポトマック河畔を彩り、毎年、全米桜フェスティバルが開催されていることを思うと、当時の尾崎市長による「自治体外交」は、時代を超えて大きな成果をもたらしたといえるでしょう。
しかし、忘れてはならないのは、そうした「華やかな外交エピソード」の一方で、東京市長時代の尾崎は、実務的な手腕を発揮し、東京市のインフラ整備を着実に進めていったことです。市区改正、上水道拡張、下水道工事、道路改良、街路樹植栽、港湾整備、東京市街鉄道の買収、ガス会社の合併等々…。特に、多摩川水源林調査に着手(自ら現地を視察)し、市の水源林を買収確保したことは、その後の東京市の発展、市民の生活向上に大いに役立ちました。
インフラ整備=公共事業というと、なんとなく「汚職」という文字が浮かんできますが、尾崎は、そうした不正・腐敗の芽をつみとるべく、市政の隅々にまで厳しい目を向けました。その結果、尾崎の9年に及ぶ在任期間中、(それまで伏魔殿と呼ばれていた)東京市では汚職・疑獄事件は一度も起こらなかったそうです。
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