封建政治と立憲政治(尾崎行雄)
かつて「憲政の神」と呼ばれた尾崎行雄。
憲政とは立憲政治のことで、憲法に基づく政治、すなわち「法の支配」を意味します。
尾崎が目指したのは、「人の支配/力の支配」を廃し、「法の支配/道理の支配」を実現することでした。
そして、法をつくる立法府=議会、その議会を構成する政治家、それを選挙する有権者の重要性を説き続けました。
以下、『尾崎行雄 民主政治読本』からの抜粋です。
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「封建政治と立憲政治」
どこの国でも、立憲政治が始まる前は封建政治であった。その封建政治では、立法も司法も、ともに行政府の一部分に過ぎず、政府が勝手に法律をつくり、勝手に裁判した結果、人民の命は「斬り捨て御免」で、犬猫同様に扱われた。人民の財産も、人間がニワトリの卵を勝手に取り上げるように、人民から取り上げてしまった。封建政治は政府万能の政治である。
しかし人智が進んで、人はそれぞれ、その命と財産の持ち主であるということを自覚するようになると、そんな政府万能の政治では承知できない。自分の生命・財産には、自分の選んだ代表が決めた法律による以外は、指一本も触れさせるものかとなって、立憲政治が生まれたのである。
以上の説明で明らかなように、封建政治が政府万能であるのに対し、立憲政治では、政府といえども立法府で決めた法律の枠をはずして、勝手にふるまうことは絶対に許されない。司法府もまた、立法府で決めた法律によって裁判し処刑するだけだから、立法府が国の政治の中心となるのは理の当然である。しかし、これまでのわが国の立法府は、この大切な役目を忘れて、事あるごとに行政府の風下に立ち、あたかも行政府の補助機関のような役割を演じた。そのため憲法は名ばかりで実がなく、ついに少数の軍閥や官僚に引きずられて、国家と国民を、今日のような破滅の谷底に追い込んでしまった。
『尾崎行雄 民主政治読本』(2013年・平成25年復刊)より
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※『尾崎行雄 民主政治読本』は、現在アマゾンで在庫切れの状態が続いています。
ご希望の方は、出版元である「世論時報社」へ直接ご連絡頂くと短日で届きます。
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尾崎が目指したのは、「人の支配/力の支配」を廃し、「法の支配/道理の支配」を実現することでした。
そして、法をつくる立法府=議会、その議会を構成する政治家、それを選挙する有権者の重要性を説き続けました。
以下、『尾崎行雄 民主政治読本』からの抜粋です。
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「封建政治と立憲政治」
どこの国でも、立憲政治が始まる前は封建政治であった。その封建政治では、立法も司法も、ともに行政府の一部分に過ぎず、政府が勝手に法律をつくり、勝手に裁判した結果、人民の命は「斬り捨て御免」で、犬猫同様に扱われた。人民の財産も、人間がニワトリの卵を勝手に取り上げるように、人民から取り上げてしまった。封建政治は政府万能の政治である。
しかし人智が進んで、人はそれぞれ、その命と財産の持ち主であるということを自覚するようになると、そんな政府万能の政治では承知できない。自分の生命・財産には、自分の選んだ代表が決めた法律による以外は、指一本も触れさせるものかとなって、立憲政治が生まれたのである。
以上の説明で明らかなように、封建政治が政府万能であるのに対し、立憲政治では、政府といえども立法府で決めた法律の枠をはずして、勝手にふるまうことは絶対に許されない。司法府もまた、立法府で決めた法律によって裁判し処刑するだけだから、立法府が国の政治の中心となるのは理の当然である。しかし、これまでのわが国の立法府は、この大切な役目を忘れて、事あるごとに行政府の風下に立ち、あたかも行政府の補助機関のような役割を演じた。そのため憲法は名ばかりで実がなく、ついに少数の軍閥や官僚に引きずられて、国家と国民を、今日のような破滅の谷底に追い込んでしまった。
『尾崎行雄 民主政治読本』(2013年・平成25年復刊)より
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