咢堂塾・政治特別講座 講義録より(1)
去る5月19日、第2期「尾崎行雄・咢堂塾」政治特別講座が終了しました。
以下は、昨年3月から5月まで開催した第1期講座の第1回講義「咢堂・尾崎行雄と相馬雪香」で私がお話しした内容です。冒頭部分だけですが、2回に分けて掲載します。
この第1期講座は、私を含む全5名の講師陣が講義を行ない、昨年その講義録が出版されました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■「尾崎行雄・咢堂塾」は信念を磨く場
講義に先立って、一点、皆さんに申し上げておきたいことがあります。
今回、この「尾崎行雄・咢堂塾」の塾生を募集した際、ある応募者が、私に次のような質問をしました。「この塾は、保守系ですか? それとも左派系ですか? もし左派系なら、そういう人たちと議論している暇はありませんので。保守系の塾であれば入塾したいと思います」
私は答えました。「咢堂塾は超党派の団体で、塾生募集はすべての方に公開して行なっています。実際に集まる塾生が、保守であろうが革新であろうが、それは問題ではありません。それよりも『そういう人たちと議論をしている暇はない』というのは、当塾の趣旨に反するので、もう一度、趣旨・内容をよくお読み頂き、ご検討ください」
その質問をされた方が、今日この場に来て頂いていることを、とてもありがたく思います。
今日ここに集まっている皆さんは、政治に対する考え方がそれぞれ異なっているかもしれないし、近いかもしれない。保守かもしれないし左派かもしれない。しかし、重要なことは、もし皆さんが保守であれば、議論をすべき相手は左派の人たちです。もし左派であれば、議論をする相手は保守の人たちです。保守は保守だけ、左派は左派だけ、そんな仲間内で議論して、気持ちよくなっても何の意味もない。むしろ百害がある。
自分とは異なる考え、異なる信念とぶつかることを面倒くさがってはいけないし、そこから逃げてもいけない。むしろそれはチャンスなんです。もう一度、自分自身と向き合い、自らの信念を見つめ直すチャンスです。相手の意見を尊重し、しっかり議論を深めていく。そのプロセスで、これまで正しいと思っていた自分の信念が何度も揺らぎ、迷い、葛藤を繰り返す。それがあって初めて、本当の信念ができあがっていく。
この咢堂塾は、いろいろな立場の人たちが、異なる意見、異なる信念をぶつけ合いながら、自らの信念を磨き、固めていく場なんです。
■「憲政の神」尾崎行雄とは
さて、皆さんは「尾崎行雄」と聞いて何を思い浮かべますか? おそらく、すでに皆さんはインターネットや本を通じて、尾崎行雄の勉強をある程度されていることと思います。
ネットで検索すると、ウィキペディアに尾崎行雄が載っています。読まれた方もいると思いますが、そこにはこう書かれているんですね。「連続当選二十五回、議員生活六十三年、ゆえに『憲政の神』と呼ばれる」と。これは間違いです。
尾崎行雄は、一八九〇年の第一回総選挙に当選し、以後二十五回連続当選、議員生活六十三年。これは日本ではまだ誰にも破られたことのない偉大な記録です。尾崎が亡くなったのは一九五四年ですが、その前年に「初落選」という、文字通り生涯現役を貫いた政治家です。しかし、連続当選したから、国会議員を長く務めたから、記録を打ち立てたから、「憲政の神」と呼ばれたわけではないんです。
「憲政」とは立憲政治のことです。立憲政治とは、立憲主義に基づく政治。尾崎を語る上で、立憲主義という概念はとても重要です。あとでもう少し詳しく話しますが、一九一二年(大正元年)の暮れに、「憲政擁護・閥族打破!」を掲げて、憲政擁護運動が巻き起こります。翌年それが全国に広がり一大国民運動となる。その先頭に立ったのが、のちに首相となる犬養毅、そして尾崎行雄でした。人は彼らを「憲政二柱(ふたはしら)の神」と呼んだんです。
(次回に続く)
↓いろいろな人のブログがご覧頂けます

にほんブログ村
以下は、昨年3月から5月まで開催した第1期講座の第1回講義「咢堂・尾崎行雄と相馬雪香」で私がお話しした内容です。冒頭部分だけですが、2回に分けて掲載します。
この第1期講座は、私を含む全5名の講師陣が講義を行ない、昨年その講義録が出版されました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■「尾崎行雄・咢堂塾」は信念を磨く場
講義に先立って、一点、皆さんに申し上げておきたいことがあります。
今回、この「尾崎行雄・咢堂塾」の塾生を募集した際、ある応募者が、私に次のような質問をしました。「この塾は、保守系ですか? それとも左派系ですか? もし左派系なら、そういう人たちと議論している暇はありませんので。保守系の塾であれば入塾したいと思います」
私は答えました。「咢堂塾は超党派の団体で、塾生募集はすべての方に公開して行なっています。実際に集まる塾生が、保守であろうが革新であろうが、それは問題ではありません。それよりも『そういう人たちと議論をしている暇はない』というのは、当塾の趣旨に反するので、もう一度、趣旨・内容をよくお読み頂き、ご検討ください」
その質問をされた方が、今日この場に来て頂いていることを、とてもありがたく思います。
今日ここに集まっている皆さんは、政治に対する考え方がそれぞれ異なっているかもしれないし、近いかもしれない。保守かもしれないし左派かもしれない。しかし、重要なことは、もし皆さんが保守であれば、議論をすべき相手は左派の人たちです。もし左派であれば、議論をする相手は保守の人たちです。保守は保守だけ、左派は左派だけ、そんな仲間内で議論して、気持ちよくなっても何の意味もない。むしろ百害がある。
自分とは異なる考え、異なる信念とぶつかることを面倒くさがってはいけないし、そこから逃げてもいけない。むしろそれはチャンスなんです。もう一度、自分自身と向き合い、自らの信念を見つめ直すチャンスです。相手の意見を尊重し、しっかり議論を深めていく。そのプロセスで、これまで正しいと思っていた自分の信念が何度も揺らぎ、迷い、葛藤を繰り返す。それがあって初めて、本当の信念ができあがっていく。
この咢堂塾は、いろいろな立場の人たちが、異なる意見、異なる信念をぶつけ合いながら、自らの信念を磨き、固めていく場なんです。
■「憲政の神」尾崎行雄とは
さて、皆さんは「尾崎行雄」と聞いて何を思い浮かべますか? おそらく、すでに皆さんはインターネットや本を通じて、尾崎行雄の勉強をある程度されていることと思います。
ネットで検索すると、ウィキペディアに尾崎行雄が載っています。読まれた方もいると思いますが、そこにはこう書かれているんですね。「連続当選二十五回、議員生活六十三年、ゆえに『憲政の神』と呼ばれる」と。これは間違いです。
尾崎行雄は、一八九〇年の第一回総選挙に当選し、以後二十五回連続当選、議員生活六十三年。これは日本ではまだ誰にも破られたことのない偉大な記録です。尾崎が亡くなったのは一九五四年ですが、その前年に「初落選」という、文字通り生涯現役を貫いた政治家です。しかし、連続当選したから、国会議員を長く務めたから、記録を打ち立てたから、「憲政の神」と呼ばれたわけではないんです。
「憲政」とは立憲政治のことです。立憲政治とは、立憲主義に基づく政治。尾崎を語る上で、立憲主義という概念はとても重要です。あとでもう少し詳しく話しますが、一九一二年(大正元年)の暮れに、「憲政擁護・閥族打破!」を掲げて、憲政擁護運動が巻き起こります。翌年それが全国に広がり一大国民運動となる。その先頭に立ったのが、のちに首相となる犬養毅、そして尾崎行雄でした。人は彼らを「憲政二柱(ふたはしら)の神」と呼んだんです。
(次回に続く)
↓いろいろな人のブログがご覧頂けます

にほんブログ村
スポンサーサイト