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相馬雪香さんの7回忌を迎えて

平和活動、社会貢献に生涯現役で取り組んだ相馬雪香さん。
亡くなって早6年が経とうとしています。

7回忌にあたる今年は、相馬さんの父・尾崎行雄の没後60年にもあたることから、相馬さんの命日(11月8日)に、尾崎財団として特別な催事を開催したいと思っています。

相馬さんの亡くなった翌年、私は初めて本を出版しました。
『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』です。

改めて、その「まえがき」を以下に転載します。
文字通り、相馬雪香さんを偲びつつ…。

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『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』

 まえがき ~相馬雪香さんを偲んで~

 本書を執筆し始めたのは、二〇〇七年の秋からである。翌〇八年が、相馬さんの父・尾崎行雄の生誕百五十周年にあたることもあり、その年になんとか刊行したいと思っていた。

 〇八年一月、毎年恒例の相馬さんの誕生日会を、東京にある尾崎行雄記念財団の応接室で、僕を含むスタッフ四名で相馬さんを囲み、ささやかに行なった。九十六歳の誕生日。控え目なサイズのケーキに、ロウソクを六本ほど立て、それを相馬さんが照れ笑いを浮かべながら吹き消す姿が記憶に新しい。

 その一月、本書を書いていることを相馬さんに明かすと、照れながら「じゃあ、でき上がったら読ませてね。変なこと書いちゃダメよ」と笑っていた。それから四月にかけて原稿の主要部分をほぼ仕上げ、五月、相馬さんに読んでもらった。そして、本書冒頭の「巻頭に寄せて」の言葉を頂いた。その頃の相馬さんは、足腰もしっかりとしていて、いつも通り軽井沢の自宅から新幹線で東京に通っていた。

 ちなみに、三月には滋賀に講演に行き、また尾崎財団の理事会など三つの会合(いずれも東京)をこなしている。そして五月にいたっては、自身が代表を務める「咢堂塾」での講演や、名誉会長を務める日韓女性親善協会の創立三十周年記念式典でのスピーチ、さらに、会長を務める日本レソト王国友好協会の発足式でレソトの首相を前にスピーチを行なうなど、精力的に活動していた。僕は、いずれにも随行しているが、相馬さんの凛とした姿と言葉は健在だった。

 しかし、六月以降、事態は急変する。六月、相馬さんは軽井沢の自宅で転倒し、背中を強打。痛みがなかなかとれず、横になる時間が増えた。その頃、尾崎財団によく電話がかかってきたが、少し気弱になっていたせいもあるのだろう、僕にこう言った。「人にも季節がある。私はどうやら、もう冬になっちゃったみたい。あとの事は頼みましたよ。しっかりとね…」―なんとなく縁起の悪い言葉に聞こえるかもしれないが、実はこの手の言葉は、もう数年前から僕はよく聞かされている。この時も、僕は半笑いで「まあ、そう言わずに。早く元気になって、いつもの東京駅のお店で、鰻を食べましょうよ!」と言い、相馬さんも微笑みながら「そうねえ」と答えていた。

 七月、相馬さんは再度、自宅で転倒。右手首を骨折した。ただ、この時は電話で「右手は使えないけど、左手は平気。足も動くから、また近いうちに財団に行きますね」と言っていた。事実、八月の初めに東京で一つ会合があり、その際、久しぶりに相馬さんに会った。少し痩せたようにも見えたが、顔の血色も良く、三ヶ月前とほぼ変わらなかった。

 ところがその八月の中旬、自宅にて三度目の転倒。救急車で運ばれ、病院で下された診断は、坐骨骨折。緊急入院となった。痛みが激しく、病院のベッドでほぼ寝たきりの状態が続くが、それでも、少しずつ食事が摂れるようになり、九月からはリハビリを始める予定だった。

 九月上旬、軽い脳梗塞を発症。こちらが話しかけた言葉に、なんとなく反応はあるものの、言葉がうまく出ない。口から食事が摂れないため、常時、点滴で栄養を注入。数日後、言葉が全く出なくなる。体もほとんど動かせない状態が続き、意識の有無については、本人のわずかな目の動きでわかる程度となる。そして九月末、自宅に戻り、訪問看護による療養生活に入った。

 十月中旬、ベッドに横たわったまま、ほとんど見動きしない相馬さんの右手を握り、耳元で「早く元気になって東京駅で鰻を食べましょう」と声をかけると、目は閉じたまま、かすかに顔をこちらへ向け、「フー、フー」と少し大きめの呼吸をした。それが偶然なのかどうかもわからない。ただ、僕には「うん、そうね」と微笑んでくれたように感じられた。それが、僕が相馬さんと交わした最後の〝会話〟となってしまった。

 そして、十一月八日、軽井沢の自宅で、子・孫・曾孫の三代に囲まれ、相馬さんは静かに息を引き取った。その別れには立ち会えなかったが、きれいで、安らかな顔をしていたという。

  *************************

 二〇〇八年六月から、亡くなる十一月までの五ヶ月間、まさに急転直下の如く、相馬さんの状況が一変してしまった。おそらく、その年の五月までの相馬さんを知っていて、六月以降は会っていないという方は、この度の訃報を聞いて、かなり驚かれたのではないだろうか。 

 僕たち尾崎財団スタッフには、六月以降の経過について、かなり詳細な情報が入っていた。特に脳梗塞を発症した九月以降は、意識も薄弱で、寝たきりの状態であることも知っていた。正直に言うと、僕も他のスタッフも、この時点で、相馬さんが快復する見込みはほとんどないとわかっていた。とはいえ、相馬さんと最後に会った日から一カ月を待たずして、まさかこんなにも早く〝その時〟が訪れるとは…。

 相馬さんが亡くなって十二日後の十一月二十日、尾崎財団主催による「尾崎行雄生誕百五十周年記念式典」が、東京の憲政記念館(旧・尾崎記念会館)で盛大に行なわれた。本来なら、そこに相馬さんの姿があるはずだった。父・尾崎行雄の業績を振り返るこの記念式典を、相馬さんは誰よりも楽しみにしていた。当日の参加者は、この尾崎財団の副会長でもあった相馬さんの訃報をすでに知っており、来賓の参議院議長や、当財団会長である衆議院議長の挨拶の中でも、冒頭、相馬さんへの追悼の言葉が述べられた。僕は、この式典の総合司会を務めたが、進行しながら常に感じていたのは、参加者の皆さんの〝哀しみ〟ではなく、むしろ、相馬さんの遺志をしっかりと受け継いでいこうという力強さだった。この式典の最中、僕自身も、参加者の皆さんから励ましの声をたくさん頂き、元気づけられた。

 それから約一カ月が過ぎた十二月二十五日、同じく憲政記念館で、「相馬雪香先生を追悼し感謝する会」が開催された。これは、尾崎財団をはじめ、「難民を助ける会」や「日韓女性親善協会」、「国際IC日本協会」など、相馬さんが創設したり役員を務めたりした十二団体が合同で開催したものだ。内閣総理大臣の弔辞、衆参両議長の献花などが行なわれ、参列者は八百名を超えた。政財界、各国大使など内外の要人も少なくなかったが、参列者の多くは、相馬さんを慕い、共に活動をしてきた仲間、ボランティアの人たちだった。この日、そうした多くの〝市井の同志〟から、文字通り「追悼と感謝」の意が相馬さんに捧げられた。

 ところで、先ほど述べたように、本書の原稿は〇八年四月にはほぼでき上がり、相馬さんも刊行を楽しみにしてくれていたのだが、その後のあまりの急展開に、僕自身も戸惑い、どう取り扱うべきかずっと悩んでいた。そして、お身内から訃報のご連絡を頂いた直後は、この原稿は封印し、僕の心の中だけにとどめておこうとさえ思った。

 しかし、その後十一月に行なわれた記念式典と、十二月の追悼・感謝の会を経て、僕の中でひとつの区切りが付いたように思う。吹っ切れたと言ってもいい。いつまでも、相馬さんを失ったことへの哀しみに打ちひしがれているわけにはいかない。相馬さんもそれを望んではいないだろう。
 
 今、二〇〇九年を迎え、相馬さんの九十七回目の誕生日を祝うはずだった一月二十六日に思う。このままでは、せっかく相馬さんが本書に寄せてくれた言葉、そこにある思いまで無に帰すことになるのではないか。そして何より、相馬さんが亡くなった今、改めて、これまで相馬さんが残した言葉の数々を振り返った時、今だからこそ、それをきちんと書き残し、一人でも多くの人に伝えたい―それが、身近で共に活動し、相馬さんから貴重な言葉を頂いた僕の義務なのではないか。そんな思いに駆られ、あえて刊行を決意した。

 本書は、相馬さんが元気な時に書きしたためたものだ。そのため、いきなり冒頭から、今は亡き相馬さんの言葉(「巻頭に寄せて」)が出てきたり、本文のエピソードが現在進行形であることに、読者の皆さんは違和感を覚えるかもしれない。しかし、今の僕にとっては、その現在進行形がすごく自然なことであり、むしろ過去形に書き換えることに違和感を抱いてしまう。

 僕の中の相馬さんは、今でも、そしていつまでも、元気で、気骨があり、凛とし、優しく、時に怖く、なんの気取りもないのに品がある、パワフルでチャーミングなお婆ちゃんだ。それに、相馬さんの「言葉の力」は、相馬さんが亡くなっても、決して衰えるわけでも失われるわけでもない。相馬さんという存在と、相馬さんの残した言葉を、過去形にするわけにはいかないのだ。

 本書の第一号は、相馬さんに直接手渡したかった。しかし、もうそれは叶わない。尾崎財団では五十年前から月刊誌を発行しているが、発刊当初から、相馬さんはその編集に携わり、つい二年ほど前まで、僕と一緒に校正(文字や文章の誤りを修正する作業)もしてくれていた。せめて天国で、本書を隅から隅までチェックしてほしい。そして、いつものように、「あら、ここは点が要らない。それから、ここ、まどろっこしいからカット!」と元気に校正してほしい。

二〇〇九年一月

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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
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【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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