「知識経験の蓄積ほど尊いものはない」―尾崎咢堂言行録

昨年9月、日本論語研究会で「人生の本舞台」という講演をさせて頂きました。

「人生の本舞台は常に将来に在り」――力強くもあり、厳しくもあるその言葉が、病床で失意の中にあった尾崎に「天啓」のごとく宿ったのはなぜか。尾崎の信念や生き方に触れながら、また私自身の歩みも含めてお話しさせて頂きました。

講演の後半、同会代表幹事の田村重信さんが、参加者一人一人に「人生の本舞台」を聞いて回るインタビューを敢行。大変盛り上がりました。

その時の参加者は、20代から60代くらい、学生・会社員・自営業・主婦・NPOなど様々な人たちでした。それぞれの立場・役割の中で、「利他の心」を持って社会に積極的に貢献したい、そのために出来ることから始めていく、という力強い「宣言」を多くの方にして頂きました。

「人生の本舞台は常に将来に在り」――尾崎自身がそうであったように、自分だけでなく他者の幸福、社会全体の(地域の、国の、世界の)幸福を考える生き方があって初めてこの言葉が生きてくるのだと思います。

以下は、昭和10年に尾崎が著した『人生の本舞台』からの抜粋です。

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「知識経験の蓄積ほど尊いものはない」

人間は、齢を重ねれば重ねるほど、その前途が益々多望なるべき筈のものだというのが、私の最近の人生観である。

人間にとっては、知識と経験ほど尊いものはないが、この二つのものは年毎に増加し、死の直前が二つとも最も多量に蓄積された時期である。故に適当にこれを利用すれば、人間は、死ぬ前が、最も偉大な事業、または思想を起こし得べき時期であるに相違ない。

近来、人生は四十歳からだと説く書物が出版され、六十歳以後が、最も貴重有益な時期だと唱えているそうだが、私は人間は、幾歳とは限らず、歳齢を取れば取るほど、貴重有益になると思っている。但し、精神的自殺を遂げて、耄碌(もうろく)しては駄目だが、前記の人生観を確信すれば、普通の人間は、死ぬまで耄碌すべきものではない。世の耄碌者を点検するに、多くは皆な「我がこと既に終われり」と考え、前途に何等の希望も持たない連中に限るようだ。

「死」は何人にとっても人生の終末であるが、その「死」ですら、楠木正成のごとき死に方もあれば、また権助の首縊りのごとき死に方もある。されば人生の終末たる「死」ですら、その方法によっては、六、七十年の久しき間に与え得なかった功益を世間公衆に与えることも出来、また自己の名声を不朽ならしめることも出来る。

右等の事実によって考える時は、人間は最後までその希望を継続しなければならない筈のものである。過去はすべて準備時代であって、人生の本舞台は、いずれの時においても現在以後にあるのだ。七十になっても、八十を越えても、なお今日以後をその本領と見て、その残年を送らなければならない筈だ。

 昨日まで 
  ためせる事も
   見し事も 
  明日往く道の
   しるべなるべし

以上、『人生の本舞台』(1935年・昭和10年)より
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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
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【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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