咢堂塾・政治特別講座 講義録より(2)
前回に続き、講義録(冒頭部分のみ)を掲載します。
この2回目で掲載は終わりますが、続きにご関心のある方、また、他の講義録(地方政治を考える/憲法と安全保障/政治とインターネット/日本経済と起業)をお読みになりたい方は、以下からお求めください。
アマゾン→『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』(2013年/内外出版)
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■憲政記念館と尾崎の銅像
尾崎行雄が一九五四年に亡くなった二年後の一九五六年、われわれ尾崎行雄記念財団が、民間の公益団体として設立されます。その尾崎財団が、広く国民から浄財を募って、四年後の一九六〇年、きょう皆さんにお越し頂いている、ここ憲政記念館が建てられる。当時は尾崎記念会館という名称でした。
ご存じの通り、ここは国会議事堂の正面の向かい側で、衆議院のお庭なんですね。衆議院の庭というのは国有地ですから、国有地に民間の建物は建てられない。ということで、完成と同時に衆議院に寄贈したんです。ですから、その日からもう五十年以上、われわれ尾崎財団は、衆議院に毎月家賃を支払って、ここに住まわせて頂いているわけです。
ところで、この憲政記念館の正門を入ると、小さな池がありますよね。その池の真ん中に尾崎行雄の銅像があります。今から数年前ですが、ある国会議員が、この銅像の前で私にこう言ったんです。「いやあ、石田さん、尾崎先生というのは本当に偉いですよね。だって、連続当選二十五回でしょう。私は今二期目だけど、あと二十三回当選しろなんていわれたら、とてもじゃないけどお金も命も持ちませんよ」と。そして次の瞬間、「いやあ、尾崎先生は『選挙の神様』です。あやかりたい、あやかりたい」と言って手を合わせてお辞儀をしたんです。
私は、非常に違和感がありました。というか、若干腹立たしくさえ思えました。政治家が、尾崎行雄の銅像の前で、尾崎を「選挙の神様」だと言って手を合わせ、あやかりたいと言って頭を下げる。気持ちとしては分かりますが、どうしても違和感が隠せず、つい私も言ってしまいました。「それは少し違うと思いますよ。国会議事堂正面の向かい側に憲政記念館が建ち、その憲政記念館の中央に尾崎の銅像が建ち、その尾崎の銅像の横でわれわれ尾崎財団が活動しているのは、尾崎が選挙に強かったことを褒め称えるためではありませんよ」と。
皆さんは、どう思われますか? われわれ尾崎財団も、ここに建っている憲政記念館も、そして尾崎の銅像も、「選挙の神様」として称えられるために建っているのでしょうか。ましてや政治家が、尾崎の選挙にあやかりたいと言って手を合わせる、「当選祈願」のために建っているのでしょうか。
では、何のためか。それはまさに、尾崎行雄の信念や生き方を今に伝え、未来に語り継ぐ価値があると思えばこそ、ここに憲政記念館が建ち、われわれ尾崎財団が活動し、尾崎の銅像が国会議事堂を睨みつけているんです。
そして、もう一つ。この憲政記念館のすぐ横は、かつて陸軍参謀本部があった場所なんです。戦前・戦中と、尾崎行雄は「国賊・非国民」と罵られ、軍部から睨まれ、暴漢から命を狙われた。そんな尾崎の記念館と銅像が、陸軍参謀本部のすぐ横に建っている。そういうことにもぜひ、思いを馳せてほしいと思います。
■尾崎行雄の「二つのフセン」
尾崎行雄は、二つの「フセン」を進めました。一つは「普選」、普通選挙運動です。もう一つは「不戦」、軍縮・不戦運動です。この二つのフセン、言葉を換えると、「民主主義と平和」ということです。
「民主主義と平和」――。そう聞いて、皆さんはどう思われますか? 尾崎の信念は何かと問われて、それは「民主主義と平和です」と答えてしまうと、なんとなく拍子抜けしませんか? それだけ、この二つの言葉は、今や当たり前で、ありふれていて、陳腐にさえ聞こえてしまうかもしれません。そして当たり前であるがゆえに、私たちはつい考えることをやめてしまっている。民主主義とは何か、平和とは何か――。
戦後、日本国憲法が制定されました。憲法には国民主権、平和主義が謳われている。そして戦後の一部の勢力は、民主主義と平和というお題目を唱えてさえいれば、それが実現すると思っていたふしがある。それに反対する勢力は、憲法を変えさえすれば「古き、よき日本」がよみがえると思っていたふしがある。私はこれ、両方とも違うと思っています。自らの立ち位置を示すためだけに、単にスローガンとして叫んだり、あるいは仲間内だけで「予定調和の語り合い」をしても何の意味もない。
民主主義と平和、あるいはそれを盛り込んだ憲法は、それを守るにせよ変えるにせよ、相当の覚悟と熟慮、真摯な議論が必要です。時には自分にとって都合の悪い事実を、苦しいけれども受け入れなければならないかもしれない。民主主義も平和も、決して「優しい、穏やかな、バラ色の社会」だとは思いません。むしろ私たち一人一人に、とても厳しい覚悟と責任を突きつけている。
尾崎行雄が民主主義と平和を唱えたときは、文字通り命がけです。彼は真の政党政治、立憲政治を実現させようとして、ときの藩閥・軍閥政治と対決します。そして何度も命を狙われた。軍縮・平和を説いて、全国を遊説するときも何度も暴漢に襲われる。娘の相馬雪香さんは、まだ幼かったとき、尾崎行雄と一緒に自宅の隣の工場まで一緒に逃げたという思い出も語ってくれました。そういう時代ですよ。民主主義と平和を口にして、その運動をすれば、命が狙われていた時代。国賊、非国民と罵られた時代。
民主主義と平和をめぐって、そうした時代、歴史があって今があるんだということを忘れてはならないと思います。
(掲載ここまで)
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■憲政記念館と尾崎の銅像
尾崎行雄が一九五四年に亡くなった二年後の一九五六年、われわれ尾崎行雄記念財団が、民間の公益団体として設立されます。その尾崎財団が、広く国民から浄財を募って、四年後の一九六〇年、きょう皆さんにお越し頂いている、ここ憲政記念館が建てられる。当時は尾崎記念会館という名称でした。
ご存じの通り、ここは国会議事堂の正面の向かい側で、衆議院のお庭なんですね。衆議院の庭というのは国有地ですから、国有地に民間の建物は建てられない。ということで、完成と同時に衆議院に寄贈したんです。ですから、その日からもう五十年以上、われわれ尾崎財団は、衆議院に毎月家賃を支払って、ここに住まわせて頂いているわけです。
ところで、この憲政記念館の正門を入ると、小さな池がありますよね。その池の真ん中に尾崎行雄の銅像があります。今から数年前ですが、ある国会議員が、この銅像の前で私にこう言ったんです。「いやあ、石田さん、尾崎先生というのは本当に偉いですよね。だって、連続当選二十五回でしょう。私は今二期目だけど、あと二十三回当選しろなんていわれたら、とてもじゃないけどお金も命も持ちませんよ」と。そして次の瞬間、「いやあ、尾崎先生は『選挙の神様』です。あやかりたい、あやかりたい」と言って手を合わせてお辞儀をしたんです。
私は、非常に違和感がありました。というか、若干腹立たしくさえ思えました。政治家が、尾崎行雄の銅像の前で、尾崎を「選挙の神様」だと言って手を合わせ、あやかりたいと言って頭を下げる。気持ちとしては分かりますが、どうしても違和感が隠せず、つい私も言ってしまいました。「それは少し違うと思いますよ。国会議事堂正面の向かい側に憲政記念館が建ち、その憲政記念館の中央に尾崎の銅像が建ち、その尾崎の銅像の横でわれわれ尾崎財団が活動しているのは、尾崎が選挙に強かったことを褒め称えるためではありませんよ」と。
皆さんは、どう思われますか? われわれ尾崎財団も、ここに建っている憲政記念館も、そして尾崎の銅像も、「選挙の神様」として称えられるために建っているのでしょうか。ましてや政治家が、尾崎の選挙にあやかりたいと言って手を合わせる、「当選祈願」のために建っているのでしょうか。
では、何のためか。それはまさに、尾崎行雄の信念や生き方を今に伝え、未来に語り継ぐ価値があると思えばこそ、ここに憲政記念館が建ち、われわれ尾崎財団が活動し、尾崎の銅像が国会議事堂を睨みつけているんです。
そして、もう一つ。この憲政記念館のすぐ横は、かつて陸軍参謀本部があった場所なんです。戦前・戦中と、尾崎行雄は「国賊・非国民」と罵られ、軍部から睨まれ、暴漢から命を狙われた。そんな尾崎の記念館と銅像が、陸軍参謀本部のすぐ横に建っている。そういうことにもぜひ、思いを馳せてほしいと思います。
■尾崎行雄の「二つのフセン」
尾崎行雄は、二つの「フセン」を進めました。一つは「普選」、普通選挙運動です。もう一つは「不戦」、軍縮・不戦運動です。この二つのフセン、言葉を換えると、「民主主義と平和」ということです。
「民主主義と平和」――。そう聞いて、皆さんはどう思われますか? 尾崎の信念は何かと問われて、それは「民主主義と平和です」と答えてしまうと、なんとなく拍子抜けしませんか? それだけ、この二つの言葉は、今や当たり前で、ありふれていて、陳腐にさえ聞こえてしまうかもしれません。そして当たり前であるがゆえに、私たちはつい考えることをやめてしまっている。民主主義とは何か、平和とは何か――。
戦後、日本国憲法が制定されました。憲法には国民主権、平和主義が謳われている。そして戦後の一部の勢力は、民主主義と平和というお題目を唱えてさえいれば、それが実現すると思っていたふしがある。それに反対する勢力は、憲法を変えさえすれば「古き、よき日本」がよみがえると思っていたふしがある。私はこれ、両方とも違うと思っています。自らの立ち位置を示すためだけに、単にスローガンとして叫んだり、あるいは仲間内だけで「予定調和の語り合い」をしても何の意味もない。
民主主義と平和、あるいはそれを盛り込んだ憲法は、それを守るにせよ変えるにせよ、相当の覚悟と熟慮、真摯な議論が必要です。時には自分にとって都合の悪い事実を、苦しいけれども受け入れなければならないかもしれない。民主主義も平和も、決して「優しい、穏やかな、バラ色の社会」だとは思いません。むしろ私たち一人一人に、とても厳しい覚悟と責任を突きつけている。
尾崎行雄が民主主義と平和を唱えたときは、文字通り命がけです。彼は真の政党政治、立憲政治を実現させようとして、ときの藩閥・軍閥政治と対決します。そして何度も命を狙われた。軍縮・平和を説いて、全国を遊説するときも何度も暴漢に襲われる。娘の相馬雪香さんは、まだ幼かったとき、尾崎行雄と一緒に自宅の隣の工場まで一緒に逃げたという思い出も語ってくれました。そういう時代ですよ。民主主義と平和を口にして、その運動をすれば、命が狙われていた時代。国賊、非国民と罵られた時代。
民主主義と平和をめぐって、そうした時代、歴史があって今があるんだということを忘れてはならないと思います。
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