憲政特別展「普選をめざして―犬養毅・尾崎行雄」秋開催!

1855年生まれの犬養毅。58年生まれの尾崎行雄。

二人は共に慶應義塾に学び(尾崎は自主退学)、郵便報知新聞で筆をふるい、82年には大隈重信を総裁とする「立憲改進党」の結成に携わります。その頃から尾崎は雄弁家として名を馳せ、犬養と共に各地を遊説。犬養は82年に、尾崎は85年に、それぞれ東京府会議員となりました。

1890年の第1回衆議院議員総選挙で、共に当選。
尾崎は連続当選25回、議員生活60有余年という最高記録を打ち立て、犬養は連続当選18回、議員生活42年という、尾崎に次ぐ記録を打ち立てました。

1898年に、尾崎は大隈内閣(隈板内閣)で文部大臣となりますが、「共和演説事件」で辞任。その後任に選ばれたのが犬養でした。

1912年の暮れから翌13年にかけて憲政擁護運動が巻き起こります。その先頭に立った犬養と尾崎は「憲政二柱(ふたはしら)の神」と呼ばれ、国民から圧倒的な支持を受けました。

犬養毅と尾崎行雄。
同志として共に戦い、時に反目し、最後は袂を分かつことになりますが、二人の間柄は、まさに「盟友」と呼ぶに相応しいものでした。

1931年。
尾崎は、カーネギー財団に招かれて8月に渡米、その後イギリスに渡ります。9月、満州事変が勃発。12月、若槻内閣が総辞職し、犬養内閣が成立します。尾崎は、ちょうどニューヨークから大西洋を航行している船中で、新聞電報で犬養首相誕生を知りました。その時の状況を尾崎は次のように回顧しています。

「…すぐ祝電を打とうと思って書いたが、また考えてみると、犬養の抱負からいえば、総理大臣になったことは大した名誉なことでもない。その上に、政友会総裁とはいいながら、事実は政友会という家を借りた借家人である。到底自分の志を行うことはできない。それだから内閣を作ったことは真に彼のためであるかどうか、あるいは彼の晩年の名誉を傷つけることになりはしまいか、これは問題であると思って、祝電は見合わせることにした。犬養と私とは、古くから兄弟のようにして政界に立ってきた。途中で意見を異にしたこともあるが、何というても、他の何人よりも親しかった」

犬養内閣成立の翌32年5月、犬養は暗殺されます(5・15事件)。
その死をきいた尾崎は、次の歌を詠んでいます。

「我友の殺されたるを夢として聞かんと祈り真(まこと)かと問う」

「たのむべき国の柱の少なきに親しき友のまたも殺さる」

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さて、2016年秋、憲政記念館では、特別展「普通選挙をめざして―犬養毅・尾崎行雄」が開催されます!
11月9日から12月2日まで。
詳しくは、こちらをご覧下さい。→ 憲政記念館 特別展のお知らせ

一人でも多くの方のご来館をお待ちしております。


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プロフィール

石田尊昭

Author:石田尊昭
    尾崎行雄記念財団
    理事・事務局長
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【著書一覧】

石田尊昭
石田尊昭著『18歳からの投票心得10カ条』
(2016年)



尾崎行雄著/石田尊昭・高橋大輔編『人生の本舞台 復刻版』
(2014年)


民主政治読本 復刻版
尾崎行雄著/石田尊昭解説・編『民主政治読本』
(2013年)



田村重信編・石田尊昭・高橋大輔・高橋富代・小西孝実『尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録』
(2013年)


石田尊昭 心の力
石田尊昭著『心の力』
(2011年)


50の言葉
石田尊昭著『平和活動家・相馬雪香さんの50の言葉』
(2009年)


咢堂言行録
石田尊昭/谷本晴樹著
『咢堂言行録 尾崎行雄の理念と言葉』
(2010年)


石田著作
相馬雪香・富田信男他編
石田尊昭(年譜編纂)
『咢堂 尾崎行雄』
(2000年)

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